イオンカードが届いた。
やっとイオンカードが届きました・・・。
私が頼んだイオンカードはVISAのイオンカードセレクト。
イオンカードセレクトとは、
一般的なイオンカード(クレジットカード)に、
イオン銀行キャッシュカードが一枚のカードになっている。
というカードです。
実際これだけ見ると、メリットしか無いと思いますが、
その代わりではないですが、デメリットとしては、イオン銀行以外ではクレジットカードの支払いができなくなるという条件が付帯します。
でもまぁ、ゆうちょ銀行ATMや、イオン系列の店のATMでは別に入金出金も手数料が無料なのでメインバンクにはできそう・・・。と思ってやってみたものの、
セブン銀行では出金しかできない!ということに気がついて、結局メインバンクとして人様に対しておすすめすることはできないかなぁ。でもローソンでは入出金することができるのでそんなに問題はないように感じます。
それは人それぞれですかね。家の近くのコンビニが青だったらやってみてもいいかもしれませんが、セブンイレブンしか周りないと考えると、キツイのかなぁと思いますね。
あと、券面は上のイオンカード通りです。
なぜ今回VISAを選んだ理由としては、VISAコンタクトレスロゴです。
券面表にホログラム加工があるクレジットカードって地味に苦手ですから、今回はVISAでを選択しました。正直今まではApple PayでVISA支払いができないような形になっているのであまり選びたくはなかったのですが、ホログラムがない感じが良かったので、今回はVISAを選択しましたね。
あと、上の画像を見てくれればわかると思いますが、画像通り、セレクトや銀行カードも兼ねているカードだけだと思いますが、会員番号が金属じゃなくて普通にカード印字の黒字です。しかも券面が暗いので、iPhoneのクレジットカード自動認証がまともに働かなかったです。まぁ、いいんですけど、決済落ちてくれるし。手打ちで。
それでまぁ、ついてから色々支払ってみたら、
イオン内では何を支払っていたとしても、サインレスで通る魔法のカードだし、
その上、セブンイレブンの支払いはカードを挿すだけ、
ローソンではタッチするだけで全部の決済が終わってくれます。
凄い便利です。
人生生きていればいいことあるってという話
よく言う『人生生きてればいいことあるって!』という話ですよ。
変な言い方をすると、私はそんなに悪い言葉じゃないなと思っています。
まぁ、別にいい言葉でもないとは思いますが。
人に対して言う言葉ではないよなぁ。とは思います。
自分に対して少しは生きてみようと思って自己暗示と催眠をかけるなら、別に悪くはないんだろうなと思っています。でもまぁ、言葉というのは麻薬みたいなもので、煙草のようなもので、常用していればいずれ効果は薄れ、副作用が自分に対して降り掛かってくるからこそ、悪いように感じるだけなのだと、私は思います。
まぁ、こんなエントリを書けるぐらいには病んでます。仕事が佳境というか、もうデスマーチ状態に陥った挙げ句、別部署に飛ばされる話を吹っかけられて、若いやつが何をしていると叱責されていく会社に対して苛立ちを感じています。
結局の所、上に上がるということに対しては別に問題はないと思うのですが、すべてを肯定して生きていく、全部に対して全身全霊を尽くして、注力をするというのは私の本分ではないというところでしょうか。微妙に会社と私に温度差を感じながら、また、他人との思考の違いに対して違和感を感じつつ、幸せになれない人生を送っていくんだなと、少しだけ自分に諦観してしまっています。
だからなんだよ、って話ではあるんですけどね。
でもまぁ、だからこそ『人生生きていればいいことあるって!』という誰が言ったかもわからない確証のない言葉でまだ生かされていると考えたほうが、私は生きるのが少しだけ楽になるんです。
生きる意味を仕事にはできない人間としては、
生きていれば楽しみにしていたゲームの発売日も来るし、
生きていれば深夜アニメの最新話が放送されているし。
別に悪いことじゃない。生きることに対して、僕たちは飽きることはあっても、
また何かを探して、行き続ければ、歩き続ければいいじゃないか。
と思うのです。
まぁ、死ぬなとは言いません。実際死にたいという言葉の重さというのもあると思うんですよ。結局。
というか、人間生きすぎなんですよ。本当に。
でもまぁ、少しぐらい生きる気があるのであれば、別に、生きていても問題はないんじゃないのかなぁと思いつつ、深夜にタイピングリハビリをしつつ、こういうエントリを書くのは、なかなかに気持ちがいいものでありました。
以上です。
モチベーションとの向かい方/神が振るサイコロについて
社内試験があるがやる気がない。
まぁ、よくある話だ。
エンドレスエイトで宿題をしたくないキョンみたいなあれである。結局、自分に対してあまり必要のないものに対して(要は就職試験や人生が変わる的なあれな試験以外のもの)は、全般的にやる気にならない。
特に、私のように試しに受けて受かった会社で、上京をして、行きたくない東京に行ってる感じだと、特に思う。前の記事でも書いたが、結局スーパーの店員だの、しがない会社のSEとかになりたかったのに、こういうのは向いていない。と思っている会社に入ってしまった残念そうで、意外と残念じゃない奴らだ。
結局は誰にも選ばれない人間がいて、要はサイコロで1しか出ない人間がいるのに対して、自分はサイコロをランダムに振れても、振る気にならない人間というのが、いる。
私はこの前までずっと、さいの目は1しか無いと思いながら1しか出していなかった人間だったが、ランダムでサイコロを振ることができる、要は自分で自分に対してのさいの目を振れるようになったらゲーム性がない(という気になって)と思って面白くなくなった挙げ句に、結局サイコロを振り続けている限りは神には勝てないと思ってしまう感じが、結局自分に対してのモチベーションを下げてしまっているように感じた。
私は一般人じゃないんだと思った。結局、神の振るサイコロには歯向かわないと面白くないというか、不幸にならないと面白くないというか。
まぁ、上に書いたこと自体については、自分自身が抱えている問題なのか、そうではないのかという事自体もよくわからないし。
よくある話だ。だって私は夏休みの宿題を9月1日から3日にかけて行う派だからだ。自分に対して嘘をつきたくはない。
結局あの夏休みの宿題という忌々しいものは、僕たちの人生の縮図だ。課題を終わらせる人間は、『他人に対して教員という教室のサイコロを振る人間に対して媚を売っている感覚』に陥るんだ。
結局、そういうところだけは、一生矯正しても変わらないんだろうな。私がウェイ系と一生相容れないが如く、変わるところは大人になったと思いつつ、変わらないところは自分の『アイデンティティ』だと思って自分に対して納得をさせようとする。
そうやって、僕らは大人になるという選択肢のない選択を迫られているのだ、神に。
人生とは/ノブレス・オブリージュの真意
昔は、田舎のスーパー店員にでもなってある程度の生活で、ある程度の幸せだけが欲しかった。実際それ以外は不要であったと言っても過言ではない。
その後、高校に入った頃だろうか、自分の周りにはオタクと変人しかいなくなってそれ以外の人間の顔の区別がつかなくなったと思うし、その顔の区別がつかない人間から私を見たらもしかしたらそれこそ空気でしか無い、という感じだったように思う。
その頃には、就職という言葉を重く感じてしまったような気がする。
まぁ、結局の所は自分の居場所を見つけてしまったところで、『オタクのいる職場』というものに憧れを持ったりした。まぁ、今もそんなにオタクがいない職場にいるが。
今の職場に対しての不満は無い。正直、それこそ高校の頃に感じた顔の区別がつかない人間たちのせいな気がする。結局面白みの無い平凡な人生を生きていく人間たちばかりで結局は辟易してしまうのだ。上を見ても右を見ても左を見ても平凡平凡。
自分自身に対しての価値を上げるために、自分が何かしらやっていないが、特別な人生を過ごしているわけではないが、自分に対して付加価値を付ける必要もなくなってきたような気がする。
結局人の優先順位は人なのだ。
言葉を変えれば『ノブレス・オブリージュの真意』と言ったところか。
皆さんはノブレス・オブリージュに対してどう思うのだろうか。
ノブレス・オブリージュ、私が幼い頃は平面的に『持つものは持たざるものに』
少しおとなになってきたら『貴族の義務、民の分前』
といったところだろうか。まぁ、諸説はあるが。
だが、このノブレス・オブリージュ、実際持つものになるためには、自分を高め、人を蹴落とすということが必要になってくるわけだ。要は、『人が人を救うためには結局誰かを蹴落とさなければならない』ということだ。
そのまた逆を考えれば、『誰かを蹴落とさなければならない』という余計な感情を持ち合わせ生まれ持ってしまった人間は、結局人のためにならずに死んでいくという話になっていく。結局三角ピラミッドの底辺というのはこういう『優しい人間』なのだ。
学校の試験でも、仕事の業績争いも、結局人は何かと戦わなければならないのだ。
だからこそ、毎日会社に行って、あるいは学校へ行き、辟易とした人生を送りながら、何かのために物を売り、何かのために人の下に付き、仕事という何かを行っていくわけだ。
これに対して、またはこの記事に対して、いろいろ考えてこうやって明文化できるようになったあたりは、幼い頃から私は成長したんだなと少し感じた、そういう感じ、わかる?
以上
5年Macを使ってきた、そろそろ卒業の時が来たのかもしれない。/最初は『Surface Go』が欲しい○つの理由というタイトルで書いていたんですけど・・・。
私は、ここ5年ぐらいMacBookを使ってきた。
まずは、MacBook Air 11(2014)
そして、現在使用しているMacBook Pro 13(2017)
正直、アップル製品については、未だににわかだと思う。iPhoneに絆され、iPadに感動し、MacBook Airも買ったようなものだからだ。
だが、一つの記事に出会い、また、いろいろと考えた結果、私はMacを卒業、いや中退すべきなんだと思ったので、また今日筆を執った次第である。
いわば、卒業式の答辞。いや、退職する会社に対する退職理由、いわば贈る言葉だ。
僕がMacBookを卒業すべきだと思った○つの理由。
1. 5年Macを使ってきたが、完成されたシステムすぎてユーザ(自分)が触る場所がなくなってきている。
少し趣旨は違うが、この記事を書いているライターと同じことをほぼほぼ思っていました。引用をさせてもらうと
”修理ができないことは「敵意なのか、ビジネスのためなのか」は「分からない」と付け加えた。”
まぁ、この記事はハードウェア関係についての記述が多いため、こういう書き方になっていますが、私が感じたのはソフトウェア面ですね。
この人生、Windowsを買ったときにはまともなハードウェア要件を満たせず、要らないドライバを捨て、入れ直し・・・。ということまではカスタマイズ性は要らないものの、やっぱり少しぐらいはカスタマイズして、『自分だけのWindows・Mac』を作りたい願望があったからこそ、今の所、OSはWindowsがいいなと思った。
要は、実装段階である『ダークモード』にしても、他iPhoneの連携(AirDrop等)にしても、『完成されたシステムをどこまでうまく使うか』しかアップルはユーザーに選択肢が与えていないのだ。いわば、
どこまで改造しようと、結局MacはMacの体裁を保つ。という感じか。
先程のビジネス・インサイダーの記事を引用させてもらうと、これこそが
『高級品におたくの居場所がない』
といったところか。
まぁ、今最新であるMacBook AirやMacBook Proに入っているようなT2チップだってユーザのセキュリティの為に実装した、いわば富裕層のためのシステムと言えよう。
私は庶民なので、そんなシステムなんて不要なんだがな・・・。
2.開発したくない、いややる気が起きない。
先程と書きたい趣旨は同じだから、段落分けする必要性に欠けるが、
『完成されたシステムだからこそ、カスタマイズできないからこそ、作られるウェブサイトや、アプリケーションは似たり寄ったりになる。』
というところだろう。
あと、個人的にはXcodeのエラーに対する指摘がすごい的確すぎて、
『悠長な外国語で嬲られているような気がしてJavaぐらいわけわかめ状態の方が好きだった(要はそこまでやらないと問題が全く解決しなかった)』
というところですかね。そこに人間性を感じるかどうかは別だし、実際それに関しては私のマゾ体質が原因なのでぶっちゃけこれに対してアップルを攻めることは私はできませんね。
でもまぁ、悠長な外国語で嬲られている感じというのは結局アンチエイリアスなフォント、しかも素晴らしく的確な指摘でわかりやすかったからこそ、私は凄い苦手だった、という話なだけで。
だから変態には向かないOSになったなぁと思いました。
3.Windowsがマシになってきた。
私が最初にMacBook Airを買ったときにはまだノートパソコンと言うと、
(1)色域が低い、スペックが低い、価格が安いの三大ゴミ。
(2)色域はMacBook以下、スペックは高いけどバッテリーは持たない、価格がMacBookより高いの三大必要ない奴ら。
の2つだったので、正直MacBookぐらいしか選択肢がなかったとも言えるんです。だから、ある意味今回のは卒業とも言えるのかもしれません。
あと、Windowsに一つ言えることとして、Windowsタブレット(まだ発展途上国だけど)が出てきたのも大きいですね。Surface以外ゴミ以外の何でも無いんだけどさ
4.エロゲがしたい。
別にこの記事、アップルを罵るために書いているわけではなく、元題だって『Surface Goがほしい』だったから、書きますけど、最近Surface Go気になってて、やりたいゲーム(えっちなやつ)とか仕事終わりとか休みとかにできたらなぁとおもったので、いっそ・・・。という話。
5.重量的な問題。
個人的にはqwertyキーボード端末は1台は実家に持って帰りたいぃ・・・。となるので(携帯だけだとブログやったりとかSNSもめんどくさくなるから)MacBook Proをしょうがなく持ち帰っていたのですが、正直それも終演を迎えなければならなさそうなんですよ。まぁ、iPad Proだけだとエロゲもできないし、Web表示にならないし、iPadはパソコンにはならないんですよ(強調)
あと、参考までにこの前実家に持ち帰ったガジェットの数々。
・MacBook Pro 13 約1.5kg
・iPad Pro 10.5(Smart Cover付き)約500g
・名もなき中華タブ13インチ 約800g
・iPhoneX 200g
・Galaxy note9 200g
_______________________________________
合計、3200g。
重いんだよ・・・これ。
まとめ
一応、そういうことを考えて、Paypay特需などは終わってますが、Surface Goを近々購入する予定です。まぁ、色々考えて、ですけど。
タバコがやめられない理由について/今年の目標は、禁煙です。
今年の目標は禁煙にしました。
無理です。
もう死にたい、けど死ねないからたばこを吸うんだよ。
って話。
煙草は、東京都のトップがみどりの人に変わってからはかなり風当たりが酷くなり、その人が当選しなかったら、特別な人間でなかったらまだ10年かかるような条例や悪評をほんの1,2年でやっていった感じですよね。
個人的にはそういう風当たりが強い時期から吸い始めた若輩者ですが、今回は段階に分けて、吸い始めていたとき/吸っているがやめたい、けどやめられないときの理由について切実に(本当に切実に)書いていこうと思います。
なぜ、煙草はやめられないのだろうか。
ニコチン、依存性。
まぁ、科学的に言えばそうなのかもしれないんでしょうが、ぶっちゃけた話、そういうことじゃねぇよ思うんですよね。個人的には。
じゃあ、なぜタバコがやめられないのか。
スッキリするから。
ストレスが溜まったとき。
自分がミスしてしまったり、他人のミスを押し付けられたり、余計な仕事が増えて、上司に叱られたり、また、理不尽に怒られたり。もう人生に疲れたり、かたや業務に疲れていたりするときは、特に、煙草が吸いたくなるような気がします。そういった落ち込んだときにこそ、煙草を吸うのですよ。別に、ニコチン依存に、煙草に吸われているわけじゃなくて、多分、そういうことなんです。
実際煙草の吸い始めもそんな感じだった気がします。人間関係に疲れて、疲労して。
生活バランスが崩れ落ちた挙げ句にみんなタバコを吸い始めるのです。
だったらやめなけりゃいいじゃん。という話。
まぁ、今のところは辞める兆しも何もなく、ただタバコを吸い続けていく人生でございます。
本題の、煙草をやめるということについての社会的反響。
この頃、Twitter他Webサイトでいろいろ論議になりつつある、『禁煙』『喫煙者のポイ捨て』『路上喫煙、屋内喫煙の禁止』。
こういったことは、『正しい場所で正しく吸うように』ということであることは確かなので僕は何も思いませんが、時折サイト上に落ちているゴミみたいな人間が書いていった便所の落書きの氷山の一角として
『なぜタバコがやめられないのでしょう??煙草なんて臭いしやめたほうがいいんじゃないの???』
という本当に価値のないことを書く輩がいます。(○ahoo知○袋でよく見た)
お前に何がわかるんじゃいって感じー(●`ε´●)
鼻くそほじって死んでくれとしか思えないっすね。明らかに人を馬鹿にしているのか、本当に脳みそが入ってないような感じがします。正直、気持ち悪い。
完全な禁煙者、喫煙社会アレルギーを持った人間のせいで、喫煙者派苦しめられて、傷つけられて、結局たばこを吸う、負の喫煙バイオサイクリズム・・・。
まぁ、そういう話なんですよ結局は。
ここまでが、いわば『タバコがやめられない理由』なんじゃないのか。
と個人的には思います。
閑話休題。
今年の目標は、禁煙です。
例えば、ゲームで主人公がなにのために世界を守らないといけないか考えるような気持ちで、いわば私は『なにのために世界を救うため、タバコを絶たなければいけないのか。』というラスボス的精神で考えていきましょう。
禁煙をすると何が変わるのかメリット・デメリット表
メリット!
1.金銭的な余裕ができる。
個人的に、お金はタバコの二の次ぐらいに好きです。その次がスマートフォン、その次がPC、タブレットですかね。その二の次の金を使っていままでタバコを調達していたわけですから、お金が貯まらない訳がない。
2.匂いを気にせずに済む。
やっぱり、匂いですかね。タバコを吸っていると多かれ少なかれというか、多大に匂いが残るわけですから、衣服についた匂いなどについては減るのかもしれません。
デメリット。
1.人生の幸せ、とは。
朝起きて、気持ちよくたばこを吸う。それだけの人生な気がします。うん。そうなんですよ。朝起きて、紙タバコをベランダで吸って。仕事の準備をして。仕事して、ストレスが溜まったらたばこを吸う。そして仕事が終わってタバコを吸って、寝る。
それだけの人生なんです。
2.マンネリとした人生を送れなくなる。
今まで、とくに社会人になってからは、人と同じつまらないことをして、つまらない会議に出て、つまらない営業をして、つまらない人間関係を築いて談笑をした。
そういった人生を送れなくなる(ような気がする)。
集中できなくなり、仕事はうまく行かなくなり、上司の説教に対してもマジレスして給与を下げられる。
3.生活バランスを崩したときに、眠くなる、体調が悪いときのリセットボタンがなくなる。
これが一番の理由です。全般的に朝が弱く、体調が悪いときにタバコを吸い体調の不審点を見逃せるような、そういう人種だからこそ、強く耐え抜くためにタバコが必要だと思います。
といった具合ですかね。
やっぱり無理だわ。辞めるの。