はてはそれが偽物だったような
偽物やら本物やらというのはラノベでよく描かれる。
自称『いつまでもラノベ読み』な私的には命題でもあるような気がする。さしてそれも一つの杞憂でしかない、というところでもあるが。
それはそれで結局一つの題として受け止めるか、というのが題なのかもしれないのだが。
結局哲学とはそういうものである(つけるな)
着飾る、ということ自体が偽物か、本物なのか、ということを一つとして例題に挙げてみようと思う。
どう頑張ったところでApple Watch買う意味が見出せないけど欲しい....ってなってるからホントクソ。
— Syun tokikaze (@not_humanity) 2019年9月19日
頑張ろうとする癖は一つとして無駄にならないのだろうか。本当にそうなのだろうか。結局は自分自身が見えを張って結局は自分自身に対してこういう・・・・。
なんか難しすぎて自分ではわからなくなってきた。
結局はiPhoneを買うかどうかで自分の付加価値をあげようとした、それに対して自分はどうしたいのかがよくわからなくなった。というくっだらない話である(自分でもよくわかっている)
まぁそんなものを言ったところでゴミカスレベルの自分自身のゴミ・・・。(あぁ死にたくなってきた)
書き途中だったのに死にたくなってきたぁ・・・。
こういうのが結局5年後に見たときに死にたくなるようなブログ記事なんですかね