僕はただの抜け殻

世界線の話をしよう。

たとえば、4年前、しっかり自分に仕事が見合ってないと大の大人が泣いて叫んで意見を通したならば多分もっと有意義な生活ができていたのかもしれない。

たとえば、3年前、喫煙所でタバコを吸って他人と価値観をわかりあえないと思ったときになんとなく退職を仄めかせればもっと有意義な生活を送れていたのかも知れない。

たとえば、2年前、自分にここにいる意味合いを見つけられないと目を伏せて乖離をしていれば、今ここにはいないし、もっと有意義な生活を送れたのかも知れない。

たとえば、1年前、ここにいる自分が無駄だと感じたならば、仕事をやめてもっと有意義な生活を送れたのかも知れない。

結局、そうやって、自分が仕事をやめたいと決意しない限り、多分ここにかかれていることは1年ずつ増えていくだろうし、これを考えても無駄ってのもしっかり分かってはいるのだ。

じゃあ、何故仕事をやめられないのか。

このブログを見てくれている方々ならよく分かっていると思うが、私はカードゲームという享楽に人生の半分ぐらいを注ぎ、滅茶苦茶怪我を負っている。多分ここからも置い続けるんだろう。結局カードゲームの考え方として「下振れ」を経験している身としては、全てを投げ打っての転職というのが自分には割が合わないと思ってしまうのだ。

おそらく、他人に見てみればそんなことは主観でしかないし、転職経験のある方々からは人生経験が少ないからだということもある。

無理して自分を突き落として、リセットする怖さが身にしみてわかるほど失敗してきたのだ。二十幾数年間分の失敗経験が自分を襲ってくるわけである。

色々考えさせられる仕事であるからこそ、自分のやっていることが本当に正しいのかということをひしひしと感じて、色々な考え方があることも全てわかってしまう。

結局明日も明後日も1年後もこの仕事に縋り付き、執着していかないといけない。選択し続けなければいけないということは結局はそういうことである。自分に対して不平不満を抱かず生きていくにはそういうことをしなければならない。入社して5年である。5年間をすべてリセットして就活するなんて僕には無理なのかも知れない。5年間積み重ねた分の無駄な砂の城を壊してまで新たな牙城を築くことを0から始めようとは思えないなぁと思った。