常識は学生時代に作られる/社会人の学びには限界がある(個人差はある)

タイトルのとおりです。

常識は学生時代に作られます。結局学生時代から

絵を描いたり、

写真を撮ったり(それに関する機材に触れたり)、

パソコンに触っていたり、

とかって学生時代にやっていないと社会人になってからの価値観が変わってきます。知っていること/知らないことに関してはホントに100/0で変わってきます。

所詮1と0の差ではあるものの、そこに価値観が見いだせない。

ペンタブの価値だとか、写真機材の価値だとか、パソコンの価値だとか。

たとえば、スマホがあるからパソコンの価値がわからない子供が増えていることは顕著でわかりやすい。

 

ってなんでこんなこと書いてるんだって話は僕が写真機材についての価値が全くとして計れないってところなんですよね。α7持ってたときも今はNEX-5Rだけど、撮れた写真と機材の結びつけがわからない。だけど、逆にずっとスマホで撮影してきたからこそスマホの写真の撮り方はちょっとわかる。そんなもんで。

最近気がついたのはそれって芸術界隈だけなんだなとは薄々感じつつあります。

結局社会人のためのパソコン教室があるように、パソコンやEXCEL操作、事務業に必須のものとかは別に感性が必要がなく、ただ覚えればある程度こなせてしまうのでそんなにこれには関していない。そういう意味では先程パソコンについて触れたのはミスリードだったのでは?と思ったがそうではない。パソコンでやれるプログラミングに関しては他でもなくやはり感性(五感みたいなもん)がやはり少し必須になってくるのでココもまた厳しい。

ここのブログ自体PVが100程度の弱小ブログだけれども学生さんがもしいるとしたらこれを頭の片隅に入れておいてほしい。僕からのお願いだ。

どうせこういうブログに来ているということはある程度オタク知識があるのだろう。そこから貴方はなにを見出しますか?なにに興味がありますか?興味があることは学生のうちにやっておいたほうが良いです。興味があるなら買うべきなのですよ・・・。私は社会人になってから空虚になった口です。もし、趣味にできそうなものがあれば、それに熱中する人間に対してしっかり齧り付いていけるように、そういう人間になれれば少しだけ人間としてはレベルアップしますよ・・・。